王立リンベール学園は週に一度の休日の他、真夏と春を待つ季節に1か月ずつの休みがある。今は後者、ひとつの学年が終わって間もない頃だった。王立学園は全寮制を採用しており、特別な理由がない限り全生徒が寮生活を送る。ただし、年2回の長期休暇中は当然ながら自宅に帰るのが規則だ。
今、リンベール学園寮は閑散としている。ただ一部屋の例外を除いて。特別な理由がある者は、申請が許可されれば長期休暇中にも寮を使用することができる。ただし、休暇中は給食がないので自分で用意する必要があるのだが。
バレグ・ストンハグには、この休暇中に寮を使うべき特別な理由があった。自宅を火事で焼失したのだ。高価な家具や調度品の一部も一緒に焼失したが、家族は無傷で現金などの財産も無事。現在新居を建築中だ。進級ギリギリの成績だったバレグは、調査隊への参加や休暇中の補習のついでに、散らかった仮住まいで新学年を迎えるよりもこのまま寮で生活するよう親に言われたのだった。
ユージュ山から下山したのはつい数時間前のことだ。調査隊一行を出迎えたのはアーカンドル王室警護隊の隊長、シグフェズル・サンダースだった。
「お疲れ様でした、リンベール学園の皆様」
2メートルの長身と広い肩幅の巨漢、浅黒い肌をしておりスキンヘッドで四角ばった輪郭の顔にごつごつとした大作りな印象の目鼻立ち。48歳という実年齢より10歳くらい若く見える。彼は野太い声で一行をねぎらった。
「ケン、リュウ。お前たちもご苦労だった」
「はっ!」
シグフェズル隊長はカーム先生の正面に立ち、話しかけた。
「カーム殿、陛下への迅速なご報告、感謝します。しかし、このことが国内外に知れ渡ると何かと厄介です。今回の件、今しばらくは他言無用にお願いいたします」
「はい。わかっております」
シグフェズル隊長は次にバレグに向かい、穏やかな声で言った。
「バレグくん。君はこの休み中、寮泊まりだったね。食事はしばらく我々警護隊が提供するよ。そのかわりと言ってはなんだが、許可が出るまでは寮から出るのを我慢してほしい」
万が一にも情報が漏れるのを防ごうということなのだろう。そのくらいのことはバレグにもわかる。
「ええ、ええ、どのみちレポートや補習がたっぷりありますから……出たくても出られませんよ」
寮の自分の部屋の前に戻ったバレグは小首をかしげた。中から物音がする。
「あれえ? ティムの奴、確か自宅に帰ったはずなのになあ」
帽子を脱いだバレグは少し癖のある赤毛をかくと、ルームメイトの名を呼びつつ自室の扉を開けた。
「ティム? 忘れ物でも取りに来たのかい?」
「遅かったな、バレグ。もうすっかり夜だぞ。……調査隊、お疲れさん」
部屋の中にいたのは意外な人物だった。
「スーチェ! 隊長が食事を提供するって言ってたけど、まさか君が持ってくるとは!」
スーチェ・サンダース、17歳。シグフェズル隊長の娘にしてバレグと同い年のリンベール学園生だ。バレグより10センチ高い170センチという身長だ。長めの黒髪をポニーテールに結い上げ、黒い瞳は理知的な光をたたえている。浅黒い肌は見る者に活動的な印象を与え、そのためか整った顔立ちをしているが美少女というより美少年といった雰囲気の少女だ。スーチェはバレグとともにキースの幼馴染みであり、幼い頃からよく遊んだ仲である。
「ここは男子寮だよ? あとで隊長に怒られるんじゃないの?」
「父が怒る? 人畜無害なお前の部屋に来ることをか? あはははは!!」
バレグは鼻で笑われてしまった。
「父はな、逆にお前の無事を心配してたぞ。わたしに手を出して、返り討ちに遭うんじゃないかってな!」
「はぁ? 君に手を出す!? 有り得ない! ……そんな恐ろしいこと」
「うふふふふ」
第三の声……女の子の声に驚いて、バレグは振り向いた。そして、部屋の奥に笑い声の主を見つけて今度こそ仰天した。
「んなー!?」
アゴが外れたかも知れない。バレグは限界まで口を広げてしまった。
右手を頭の上、左手をアゴの下に当ててなんとか口を閉じたバレグは、どもりながら言った。
「ふふふぁふぁ……ファリヤ殿下!! 王女様がこんなむさ苦しい場所に……。ははははしたな……いや、ももももったいのう……えと、なんだっけ」
ファリヤ・アーカンドル、15歳。キースの妹だ。150センチ、金髪碧眼。バレグに輪をかけて大きな愛らしい瞳の持ち主で、学園内……いや、国民の人気も非常に高い王女だ。
「こ、こんな夜中にお城を抜け出してきたら、大騒ぎになるんじゃないですか!?」
バレグは気が気でない。
「大丈夫よ。一旦寝たふりをすれば、誰もあたしの部屋に近付かないわ。それに今日はなんだかお父様も侍従たちも忙しくてピリピリしてて、妙な雰囲気だったのよ」
ファリヤはバレグの部屋を見回し、言葉を続けた。
「バレグ先輩のお部屋、全然むさ苦しくなんかないわよ。男の人にしては珍しいくらい、きちんと整理整頓してあるじゃない。……あ、そうそう、大人のいないところでは、殿下も敬語も必要ないわ。ファリヤと呼んで、先輩」
「……わかった。でも王女様に“先輩”なんて言われたら恐縮しちゃうよ。こっちも呼び捨てで頼む、ファリヤ」
にっこりと微笑み、こくんと頷くファリヤ。
ファリヤとバレグの話が終わるのを見届けてから、スーチェが口を開いた。
「ファリヤはな、夜になっても帰らないキースのことを心配してんだ。陛下は“急用で外泊”って仰ったそうなのだが、今年学園を卒業したばかりのキースに一体どんな急用があるってんだ?」
バレグはさっき口止めされたばかりだ。首を傾げて見せた。
「父に聞いてみたんだがな、教えてくれなかったんだ。でもありゃあ、何か知ってる顔だったぜ」
「何か怪しいのよ。キース兄様からは“今日はヒマだからエマーユに会ってくる”って聞いていたのに……!」
スーチェに続いて口を開いたファリヤは、スーチェの眉がぴくりと動くのを見て語尾を呑み込んだ。スーチェは心なしか不機嫌に眉根を寄せている……そう、ファリヤが“エマーユ”という固有名詞を告げた瞬間から。
「キースの急用って、エマーユと一緒にどっか遊びに行くことだったりして〜♪」
ファリヤは、バレグのこの不用意な冗談にはらはらした。
(お願い、空気読んで〜!)
――ギロリ!
スーチェの鋭い眼光に正面から見据えられ、さすがのバレグも自らの失言に気付いた。
「き、急用ね。さ……さあ、知らないな、僕も。今日はキースに会っていないし」
「ふうん」
半目でうなずくスーチェ。
「とととにかく、ハラ減ったな。悪いけど、メシもらうよ」
「昔っから隠し事下手くそだな、バレグは。……まあいい、晩飯食いながら、ゆーっくりと話を聞こうか」
その時初めてバレグは気付いた。夕飯の用意が3人分あることに。
「な……なあ、なんで3人分あるんだ?」
おそるおそる聞くバレグに、スーチェは快活に答えた。
「ああ、父がな、今夜は忙しいそうなんだ。うち、父ひとり子ひとりだろ? 一人で食うのも味気ないんで、“バレグと一緒に寮で食う”と言ったら、“その方が安心だ”って言ってたぜ♪」
「な……なんだよその語尾の“♪”は……」
ファリヤも言葉を挟む。
「あたしも、今夜は胸焼けがすると嘘をついて、お城では夕食をいただいてないの♪」
「あああファリヤまで……なんてこった」
バレグは逃げ道を失ったことを悟って脱力した。隠し事をしていることはほぼ確実に見抜かれている。そんなバレグの心中を知ってか知らずか、女の子ふたりははしゃぎはじめる。
「わたし、ニンジンだけは苦手だ」
「あたしが食べてあげる〜♪」
その様子をまぶしそうに眺めていたバレグは、つい数秒前の自分の気分を忘れてつぶやいた。
「でもキースといいファリヤといい、変わってるよな。アーカシ・サン王国の王女様なんか、大陸中の上等な食材を集めては毎晩のように王室の食卓を豪華に飾り立て、自分自身は少しだけ口をつけては食材の辛口評価をしているってのに」
「何言ってるの。国民あっての王室じゃない。ぜいたくは敵よ。お父様もお母様もいつもそう仰るわ」
アーカンドル王室の人間――中でもとくにキースとファリヤは、幼い頃から一般家庭に上がり込んでは夕食を共にすることが頻繁にあった。もっとも、未だにガサツさが抜けず、バレグと気兼ねなくつきあえるキースと較べ、目の前にいるファリヤは言葉の端々、物腰のそこここに王室の人間としての気品と上品さが身に付いてきているが……。
しばらく、にぎやかに食事をする3人。
紅茶を飲み終えたスーチェがにやりと笑う。
「さあ……、そろそろ答えてもらおうか」
「ぼ……僕知らないよ。キースとエマーユが一緒に土蜘蛛だか土蜘蛛もどきだか知らないけど変な連中に連れて行かれたことなんて……!」
うっかり口を滑らせたバレグは、スーチェの仕掛けた罠にようやく気付いた。
「お……お前この紅茶! お酒を混ぜやがったな!」
悪ふざけの大好きなキースやスーチェと違い、アルコールに不慣れなバレグは普段以上に饒舌になっていたようだ。
「匂いで気付くと思ったわ」
ファリヤは苦笑しながら言いつつ、スーチェの様子が気になった。スーチェは眉をぴくぴくと上下させているのだ。そう、バレグが“キースとエマーユが一緒に”と発言したあたりから。
「やっぱり、普通の外泊じゃなかったのね。でも……」
“エマーユが一緒なら安心ね”という言葉を呑み込み、ファリヤは別のことを言った。
「私たちで兄様達を助けに行きましょう!」
『ダメ!!』
強い調子で反対するバレグとスーチェの声がハモった。ファリヤは一瞬気圧されつつ、ふたりの説得を試みた。
「タイムリミットは明け方まで。それで見つからなければ、おとなしくお城で待つわ」
「あの……ね、ファリヤ」
不得手な説得を始めようとしたバレグを遮り、スーチェが諭す。
「コトがコトだ。父も警護隊もピリピリしている理由がこれでうなずける。この上王女様まで行方不明となれば、陛下のことだ。正規軍を動かしかねない!」
バレグもすかさず言葉を継いだ。
「心配しないで。僕だけなら、ここを抜け出すのはわけない。警護隊の人たちが知らない抜け道は、そこら中にあるしね。あと、僕ん家の焼け跡には、父さんが集めたマジックアイテムの中でまだ使えるものが結構残ってたんだ。火事の知らせをうけて一時父さんたちと仮住まいにいた時、そのうちのいくつかを掘り出してこっそりここに持ち込んでおいたんだ。これ、きっと役に立つ」
スーチェは眉の痙攣を止め、バレグをまじまじと見つめていた。
「な……なんだよ」
「いや……、見直したぜ。お前、さてはひとりでキースを探しに行くつもりだったな? 水臭いぜ、わたしだってキースの親友のつもりだ。一緒に行くぞ!」
(あら、このふたり……、実はわりといい雰囲気なのかしら)
場違いな感想を引っ込め、ファリヤはつぶやくように言った。
「わかったわ。ふたりにお任せします。兄様のことは心配だけど、バレグもスーチェもどうか絶対に無理しないでね?」
数分前、ちょうどバレグの部屋の前を通りかかったメリクは、場所にそぐわぬ女の子の声につい足を止め、盗み聞きしてしまった。
「ふむ。親友か……。このレポートをカーム先生に届ければ、私の仕事は終わりだ。微力ながら、私も力を貸すとするか。……それにしても、今日は忙しい日だ」
つぶやきながら歩き去るメリク。しかし、彼の足音は全くしなかった。
(12)に続く