突然耳をぴんと立てて、前方に全神経を集中させたあたしの様子に、キアさんがうろたえたように声をかけた。
「なあに?」
その声はあくまでもやさしいが、緊張も色濃く混じっている。キアさんはストーカーに狙われる身であり、あたしの仕事はキアさんのガードなのだ。
あたしはマユ。今、キアさんの腕の中にいる。キアさんの腕は華奢な割になめらかで、ついさっきまでまどろむような心地よい気分に浸っていた。が、早くも本来の任務に目覚める時間がきた。
あたしには聞こえた。最初に女の人の悲鳴。次いで、聞き知った声が知らない男の声と何か会話をしているようだ。とても刺々しい響きをこめて。
「ダイ……!」
それが、聞き知った方の声の主だ。早くもキアさんをつけねらうストーカーと対決しているのかもしれない。――加勢しようか? 一瞬迷ってから、キアさんに告げた。やはり、この場合は依頼者の安全が最優先だ。
「あたしの仲間が戦ってます。ストーカーかも……、逃げましょう!」
「……!」
意に反して、キアさんは前方をきっと睨むといきなり駆けだした。逃げるどころか近づいていく。ハムスターの姿で警告しても緊張感に乏しいのが悔やまれる。
「キアさん? キアさん!」
「あっちには、あたしのペットショップがあるのよ。ペットたちが戦いに巻き込まれるかもしれないのに、黙ってみていられない!」
――どうしよう。迷いながらも、あたしはキアさんに抱かれたままで臨戦態勢をとった。
迂闊だった。この時、あたしはキアさんの背後には何の注意も払っていなかったのだ。
* * *
迂闊だった。依頼者は『妖怪のストーカー』と言っていたので、私は先入観にとらわれていた。妖怪への警戒のみに心を奪われ、人間には一切の注意を払っていなかったのだ。
しかし今、突然駆けだしたキアを追って、数人の男たちが走り出したのだ。追っているのは全員黒ずくめ。目立つことこの上ないのだが、それにもかかわらず彼らを怪しまなかった自分が情けない。彼らを音もなく追いかけながら、私は舌打ちした。
「マスター!」
小さめの声ながら、私は首にかけてある通信石に噛みつくように呼びかけた。
「わりぃ、エス、取り込み中だ」
通信石からは、間髪をおかずにいらえがあった。だが、マスターは今にも通信を切りそうな気配だ。私はあわてて、さらに呼びかけた。
「キアたちは、人間に追われています!」
「なに!? く……。よし、レベル六は解除だ! 派手に暴れても構わん!」
マスターは早口に怒鳴ると通信を一方的に終えた。
全力疾走!
キアは意外に俊足で、追いかける男たちの表情にあせりが生じていた。二、三、……その数五人。
必死に走っている連中には悪いが、私は今、犬である。さらに俊足なのだ。彼我の距離はぐんぐん縮まっていく。
「たあっ!」
裂帛の気合い――もとい、鋭い吠え声。
「わんっ!」
やはり、犬の声帯では、いざという時には吠え声になってしまう。
私は男たちの先頭の一人とキアの背中の間に割って入り、ジャンプ一番男めがけて拳をうち下ろす。
――空振り。くそっ、二発、三発! ぶんぶんぶん……。
気付くと、男は私の頭に手をのせ、涼しい顔をしている。犬ではリーチが短いのだ。その格好をはたからみると、まるで飼い犬が陸の上で犬かきの練習を飼い主につきあってもらっているように見えたに違いない。ついでに尻尾でも振っていようものなら完璧だっただろう。ほほえましい犬と飼い主の情景……。
「……失せな」
不覚にも、私は男の無造作な蹴りをまともに腹に食らい、ふっとばされた。地面に背中をしたたかに打ちつけられた。
「きゃうーん……」
運悪く、私はキアの前方に無様にも仰向けに転がった。起きあがろうともがくところへキアの靴が迫る。――踏まれる!
「エ……ス?」
マユの声だ。キアは、驚異的な反射神経を発揮して、私の体を飛び越えたようだ。振り向くと、キアの周囲にあのオーラ――怒気――が立ちこめているのが見える。
「ペットに乱暴するなんて……最低!」
彼女は状況に気付いていないようだ。相手が自分を追いかけてきた男とも知らずに、本気で抗議しているのだ。
男は抗議を意にも介さず、腕組みをすると静かに口を開いた。
「突然襲いかかってきた野良犬をどうしようと俺の勝手だ。……それより、俺たちゃあんたに用があるんだよ、おじょうさん……。あんた、キアさんだよな」
そこまで言ったとき、男の左右に半歩ほど下がって、残りの追跡者が肩を並べた。五人ともそろって黒ずくめ。黒い帽子、黒のサングラス、黒いスーツ、スーツからのぞくシャツまで黒い。かてて加えて全員が先頭の男にならって腕組みをしたりなんかする。
キアの周囲に立ちこめているオーラが色を変えた。怒気はかわらず、そこに緊張の色が加わったのだ。
「あんたたちが……ここのところあたしをつけ回していた、妖怪?」
「どぅわぁーれが、妖怪じゃ、こらぁ!」
黒ずくめの一人が激昂するのを、先頭の男が手で制する。先頭の男は静かな口調のまま、話を続けた。
「親御さんから聞いてないのか? 俺たちはあんたの親に依頼されて、サクゾー財団から派遣されてきたんだよ。あんたと……あんたが売っているペットを保護するためにね」
「保護ってなによ?」
キアは思いっきり疑わしそうに半目で聞き返す。
「親御さんのペットショップが狙われたんだ。上流階級に売られていくペットに、妖怪が細工をしやがった。その妖怪の目的は、貴族の多くの家が家宝として保管している、魔法アイテムだったんだ。妖怪の奴はペットを介して貴族の邸宅に隠されている魔法アイテムの位置をつきとめ、空き巣に入ってはアイテムを集めているんだ」
貴族の邸宅には、魔法を使った攻撃を無効化する防犯用の魔法アイテムが常識的に装備されている。普通の手口では、たとえ妖怪といえどもそんな邸宅に空き巣に入ることはまず不可能だ。
「だからって、ペットを犯罪に利用するなんて――!」
キアのオーラは、見る間に怒り一色に染め上げられていった。まだ見ぬ妖怪に対する怒りだ。
「奴はオーサカ王国で、かなりの数のアイテムを集めたようだ。それに味を占め、同じ手口で荒稼ぎするために支店であるおじょうさんの店を狙ってこのナゴヤ王国に来ている。急がないと、奴は一国の軍隊でさえ楽にあしらうほどの魔法アイテムを手に入れてしまうだろう。だから、俺たちは脚の速い馬を選んでここにとんできたんだ。……一日半で」
普通に馬で旅をすれば、オーサカ王国からここまでは三日三晩の距離だ。キアの親からの知らせがまだ届いていない理由としては、不自然ではなかろう。
しかし、不自然な要素はまだ消えない。確かに、妖怪の中には、自分の能力を高めたり補ったりする魔法アイテムに興味を示す輩もいくらかはいるだろう。だが、特定の種類のアイテムがひとつふたつあれば十分なはずだ。人間のように貪欲に、あらゆるジャンルのアイテムを集めたがる妖怪は皆無といってもいい。そう、集めたがるのは……人間ではないか? ヤミのオークションなどで換金したがるような、いかがわしい種類の人間の組織ではないか?
「サクゾー財団って、もともとは動物保護の団体よね。あんたたちがサクゾー財団の人だっていう証拠は?」
目の前の黒ずくめは、およそ動物保護という言葉が似つかわしくない人種に見える。動物保護団体の人間が、いくら非常事態といえども馬を不眠不休で走らせるなどという真似ができるだろうか? さっきだって私を蹴っ飛ばしたではないか。もっとも、私の方から仕掛けたのだが。
「疑われて当然だ。俺たちゃ雇われの肉体労働班だからな。……ほら、身分証だ」
先頭の男が懐からとりだしたのは……ダーツだった!
ダーツの針の先端は、凶悪に光を反射し、男たちの職業を雄弁に物語っていた。
ヒュッ! 男はダーツを取りだしたそのままの姿勢で、流れるような動きでそれをキアに投げつけた。正確な投擲だ。プロだ。きっと針の先端には、毒か筋肉弛緩薬かなんかが塗ってあるに違いない。
――刹那、マユのオーラが鮮やかに立ちのぼる!
「きゅーっ!!」
空気が破裂するかのような大音響! マユたちと黒ずくめどもを隔てる空間が、小石を投じた水面のように同心円状に歪む。男が投げたダーツは歪みを超えることなく地面に叩き落とされた。マユの特技、衝撃波が炸裂したのだ。
「なに……っ!」
ただのペットだと思っていたのだろう。マユにダーツを叩き落とされて、男は額に脂汗を浮かべていた。
再度、マユのオーラ!
「きゅーっ!」
「手下バリアー!」
先頭の男は、右手にいた黒ずくめの仲間の首根っこを掴むと、マユめがけて放り投げた。
――すごい力と反射神経だ。いや、それ以前にすげえ卑劣だ。
ばりばりばり! 大音響と共に、カウンターぎみに黒ずくめに衝撃波が命中する。
哀れな手下の黒ずくめは、地面にくずおれると痙攣し、やがて気絶した。
「はっはっは! バリアーはあと三枚。そのちっこい体で、いつまで体力がもつかな?」
マユもキアも、目が点になっている。勝手にバリアーにされた男たちも、目が点になっている。
そのときには、私は人間に変身していた。瞬時に先頭の男との間合いをつめる。
「さっきの礼だ!」
私の左膝は先頭の男の腹にめりこんだ。確かな手応え。うめいて前のめりになった男の背中に左の肘を叩き込む。
休まず右の男に肘鉄。鳩尾に入った。……残り二人。
「きゅーっ!! ……あ」
――ばりばりばりどしゃーん!
マユとのコンビネーションに問題があったようだ。彼女の全力を込めた衝撃波は、私と残りの黒ずくめにクリーンヒットした。
うぅ。きょーれつぅぅ……。薄れる意識の中、視界の端にダイのオーラの色を見た。あとはよろしくぅ。がくっ。
(5)に続く