カールの薬草についての知識は、もうおいらと変わらないようだ。おいらの体はだいぶ思い通りに動くようになった。
カールは、おいらにここで待っているように言った。でも、いつまで待っていても仕方がない。
人間たちは、自分たちの家に入ったようだ。今なら、サーカスの宿営地まで誰にも見とがめられずに行けるかもしれない。
「……よし。おいら、行くぞ」
歩き始めた。道はわからないが、多分迷う心配はない。なぜならこの王国は家がまばらで、道と呼べるほどのものはほとんどないからだ。
突然現れたワイバーンには、おいらも驚いた。
カールはどうやら知っていたみたいだ。人間の軍隊の対応があそこまで早かったのは、きっとカールがお城に知らせたからだろうな。
でも、去り際のワイバーンの意識、とても気になる。
あの様子は、マミナを握り潰しかけた時のおいらに似ている。催眠術か、それに近いもので誰かに操られていたような気がする。
この王国が新型兵器を作った時、確か“実戦投入試験”というのをやっていたが、誰かがワイバーンを兵器として利用しようとしているのだとしたら、さっきのはその試験だったということも考えられる。そう考えると、さっきは被害らしい被害を受けずに済んだのも納得できる。
まだ、気を緩めてはいけない。
それにしても、自分が不甲斐ない。
魔力をほとんど持たず、腕力が弱いので武器に頼らないと戦えないのが人間だ。たとえ武器があっても、おいらとまともに戦える人間はほんの一握りだろう。
人間がすぐそばまで近付いて来れば、おいらはその意識を感じることができる。でも罠を仕掛け、おいらの感知圏外で様子を窺っていたら……。それが人間のやり方だ。だから罠の回避の仕方はカールから何度も教わった。そのおいらが、あっさりと罠におちた。
おいらは、マミナとカールにとっての用心棒だと自負していた。でも、そのおいらが大事な仲間を……。
足を止めた。おいらは、仲間のそばにいない方がいいのかもしれない。
「でも」
カールはひとりでマミナを助けに行ったのだ。カールは、早く飛べること以外は人間と同じだ。しかも彼は持ち前の優しさのせいで、他人を傷つけるのが苦手だ。
いや、今日のカールは不思議な力に包まれていた。あの力を開放したら、大抵の敵には負けないかもしれない。だけど。
だけど、あの力を、怒りにまかせて使うカールなんて見たくない。
……やっぱり、おいらも助けに行こう。
もう一度歩き出す。でも気のせいか、さっきより足取りが重い。
さっきから、どこかの家の家畜が騒がしい。あれは昼間、マミナが遊びに行っていた家だ。
マミナから何度も聞いたことのある、ローラという名の女の子が家の外に出ている。戒厳令の解除を知らせに来た騎兵が帰っていくのを見送っている。あたりに身を隠す物がないので、おいらが彼女を観察できている以上は、彼女からもおいらの姿が見えているかもしれない。でもこの暗さと距離だ、多分おいらがウォーガだとは思っていないだろう。
突然、おいらの心に強烈な空腹感と破壊衝動が流れ込んでくる。
耳をつんざく咆吼!
これは、夕方聞いたばかりのワイバーンのものだ。戻ってきたのか!?
「危ない!!」
体長7メートルの化け物が着地した。ローラの家の上に。
崩れ落ちる家の瓦礫を蹴散らし、ワイバーンは畜舎目がけて尻尾をぶつける。畜舎の壁が壊れ、その隙間から家畜が逃げ出す。
哀れな家畜たちは、残らずワイバーンの残忍な嘴に捕らえられ、平らげられてしまった。
ローラはその場に崩れ落ちた。
もう、おいらの姿を誰に見られようと構ってはいられない。ローラに駆け寄った。彼女は涙を流して気絶している。
ローラを抱き起こそうとしたその瞬間、おいらは激痛に襲われ、思わず叫んだ。
「うわあああ!!」
油断した。ワイバーンの尻尾の先端がおいらの左腕に刺さっている。右手で引き抜いたが、ワイバーンはそれっきりおいらに関心を示さない。奴は満腹で満足している。ワイバーンという種族は、相手に特に敵意や脅威を感じなくても、近寄る奴はとりあえず攻撃するのだろう。
奴に刺されたのは麻酔をぶちこまれた後カールに薬草を塗り込んでもらった箇所だ。麻酔を打たれてからまだ半日しか経っていない。痛みを感じるということは、カールが煎じた薬草は見事に麻酔を中和してくれたのだろう。
ワイバーンの尻尾の先端には猛毒があるというが、レッドワイバーンは炎を吐ける分、毒が弱いかもしれない。事実、おいらの意識はまだハッキリしているし、刺された痛みはあるものの左手はちゃんと動く。
ローラを放っておくわけにはいかない。何としてもカールのところまで、ローラを連れて行こう。おいらは彼女を抱き上げて走り出した。
ワイバーンが1度だけ翼をばたつかせた。追ってくるのかと思い、おいらは緊張した。
振り返らずに走っていると、おいらの心に倦怠感のようなものが流れ込んできた。ワイバーンのものだ。奴は眠ってしまった。
今のワイバーンには、夕方のような、誰かに強制されているような意識が感じられなかった。純粋に自分の意志で空腹を満たしに来たのだろう。
途中、何度も人に見られたような気がするが、おいらは誰にも止められなかった。どこをどう走ってきたか、よく覚えていない。それでも、サーカスの宿営地だった場所になんとかたどり着いた。焼け焦げてはいるが燃え残った荷馬車が一台、馬のいない状態で打ち棄てられている。おいらは荷馬車に駆け寄った。
「マミナ! カール! 無事か!?」
馬車の中に誰かの意識が感じられる。とりあえず、誰かひとりは生きていて、荷馬車の中にいる。安定した意識……寝ているようだ。
おいらの大声で、ローラが起きたようだ。ひとまず寝たふりをしているが、意外にもおいらのことを怖がっていない。
荷馬車を覗くと、中にカールがいた。
「おお、カール! 無事だったか」
おいらの声に気付いたようだ。カールが目を開けた。
「ギムレイ……。マミナを炎から守ることはできたよ。でも、連れて行かれた。すまん」
「無事ならいいんだ。探して、迎えに行こう」
おいらはローラを荷馬車の中にそっとおろした。彼女は涙に濡れる目を開けた。おいらを真っ直ぐに見詰めてくる。
「ありがとう……助けてくれて」
「おいらが、怖くないのか?」
「マミナの友達よね? なら、怖くない」
次いで、ローラはおそるおそる聞いてきた。
「あの……おじいちゃんと、おばあちゃんは?」
おいらは、黙って首を振るしかなかった。
「そう……」
呟いたきり、ローラは声を殺して泣き続けた。
おいらはカールの意識を感じた。気遣い、憐憫。
――しばらくそっとしておこう。
カールの意識がそう告げているのだろう。おいらとカールは荷馬車から少しだけ離れる。
マミナを取り戻すために、できることは全てしておかなくてはならない。まずは治療だ。
「カール。おいら、ワイバーンに左腕の後ろを刺された。自分では治療できない」
「見せてみろ」
カールはおいらの左腕を、肩から指先まで調べてくれた。
「毒を注入された形跡はないな。思い通り動かせるか?」
おいらは左腕を振り回した。普通の刺し傷以外の痛みはない。
「じゃ、この薬草でいいな」
カールは手際よく治療してくれた。ローラは荷馬車から降り、左足を引きずりながら歩み寄ると、治療の様子をじっと見ていた。ローラの意識から、彼女の左足の怪我は割と新しい怪我だということがわかった。
「私もマミナを助けにいきたい」
おいらたちの会話で事情を察したのだろう。ローラは泣き腫らした目の中に決意の光を宿している。
「おいらは、構わない」
あとは、カールの気持ちひとつだ。
「行くとこ、ないんだろ? じゃ、俺たちと一緒にマミナを迎えに行こう」
「それじゃ、ローラの左足も治しておこう」
おいらはローラの名前も怪我のことも知っている。ローラは少しだけ驚いた顔をしたが、すぐ笑ってうなずいた。マミナから病弱と聞いていたが、身体とはうらはらにとても強い心の持ち主だ。
夜を徹しての強行軍は危険だ。強力な魔除けか結界がなければ、闇の民に襲われることがあるからだ。
しかし、荷馬車5〜6台のサーカス一座が、それだけの規模をカバーする魔除けを用意しているとは考えにくい。簡易結界を張って野営しながら昼間に移動するのが一般的だ。
だから、おいらたちも今の内に休んでおき、早朝に出発することにした。これから先、ベッドのない生活がローラの体にどれほどの負担をかけるのか、それだけが気がかりだ。
* * *
「我らが守り神よ。我が血肉をなす風よ。今こそ我を導きたまえ」
早朝、日の出前の薄暗い時間。両手を天に向けた俺の体から、青く淡い光が上空へと昇っていく。青い光はマミナが飛ぶときに発する白色や黄色の細かい光の粒に姿を変え、北東へと流れていって霧散した。
「綺麗……」
ローラが荷馬車から降りてきた。早起きな娘だ。
「占いみたいなものさ。100%信じられるわけじゃなけど、マミナたちは北東へ行ったんじゃないかな。あの方角なら、ひとまずアーカンドル王国に絞って探せばいい」
サルトー・カン王国とサルトー・リラ王国も同じ方角だが、アーカンドルよりさらに北だ。サーカス一座の大型の荷馬車隊では山道を通れないので、占いが示す方角が正しければ途中で必ずアーカンドルに立ち寄ることになる。
「何も手掛かりがないんでしょ? 占いだけでも心強いわ」
この町には、まだワイバーンがいる。ワイバーンは一般的に睡眠時間が長い。奴のことはサーマツ王国軍に任せて、俺たちは奴が起きる前にさっさと出発したいところだ。
「ただ、な。もしかしたらまだ、ギムレイに麻酔薬をしこたまぶちこんだ奴がこの町にいるかもしれない。そいつを締め上げて知ってることを吐かせた方が早いかもしれない」
「カール。個人的な感情は捨てる。今度あいつに会ったらタダでは済まさない。でも、もしあいつがうまく見つかったとして、締め上げてもしゃべるとは思えない。しゃべっても本当のことを言うかどうか怪しい。今は何よりもマミナが最優先だ」
ギムレイも起きていた。
「ギムレイ、お前がそう言うなら」
そうだ。この町に居座るワイバーンは、ローラの祖父母の仇だ。倒す手段がないので仕方なく逃げるように出かけるしかない。俺たちだけ、自分たちの感情に拘っているわけにはいくまい。
問題は移動手段だ。残念ながら、今のところ徒歩以外の方法が思いつかない。
「歩けるか? ローラ」
「ええ、全然問題ないわ」
俺たちは、フォブロルの傷跡を消せる薬草を持っている。彼女の左足はきれいに治っていた。
行くしかない。いざとなれば、ローラはギムレイに担いで行ってもらおう。
「まて」
ギムレイが何かを感じたようだ。
「カール、やばいぞ。昨日のワイバーンだ。どうやらお前を探している。ワイバーンを操ろうとしている者の意識も微かに感じる。そいつの命令を聞くふりをして城を攻めているようだが、ワイバーン自身はドラゴンの鎧を着た奴――つまりお前を探している」
なんてこった。これでは魔除けじゃなくて魔寄せだ。
「きっと100年前、その鎧を着た者か、あるいは本物のドラゴンと戦って負けた個体なんだと思う。奴の思念は憎悪でたぎっている」
遠くから昨日と同じ雄叫びが聞こえてきた。
「なあ、この鎧を脱いだら俺だってことに気付かれずに済むかな?」
「無理だろうな。奴はもうカールのにおいを覚えている。多分おいらもローラもな」
俺たちが今いる場所から王城が視認できる。レッドワイバーンはそこにいた。奴は今、尻尾で王城を攻撃している。
王城の壁が何か所か崩れている。あの様子では死傷者もたくさん出ていることだろう。
どうやら、新型兵器の出し入れ口を塞がれてしまったようだ。このままでは、王国ごと奴に蹂躙されてしまう。
味方の矢に刺し貫かれた人々、燃え上がった飲み屋。そして、ローラの祖父母。
ワイバーンは今も暴れている。このままではもっとたくさんの人が死ぬ。
「ギムレイ、ローラ……。俺、怖いよ」
ギムレイは俺の気分を感知している。次に俺が何を言おうとしているか判っているので無言でうなずく。
俺の言葉を額面通りに受け取ったローラが提案する。
「逃げましょう!」
「俺には全然似合わないけど、グリズ様が――、ドラゴンが俺を選んだ以上は!」
飛び上がり、王城の上空を旋回するワイバーン。俺は決然と顔を上げ、奴を睨む。目が合った。
「ふたりは先に出掛けてくれ。俺は後から飛んでいく。あのワイバーンは俺に用があるんだ」
ドラゴンの鎧が白銀に輝く。俺はワイバーン目掛けて一直線に飛んだ。
(7)に続く