蒲公英 ~癒しと生命力の花~

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【日記】実験的であること 

( 2009/09/07 18:28 ) Category 日記/世迷い言 | CM(19)

ある創作仲間さんのブログに感想が寄せられていました。
正しくは、感想を書いたという報告です。
感想の内容はそのブログ管理人さんの目にしか触れないように配慮されていたので、その管理人さんがどういうご指摘を受けたかを想像した上で、私が常日頃感じていることを書きます。
したがって、実際にその管理人さんがご指摘を受けた部分とは無関係な意見となってしまうかもしれませんがあしからず。
(そんなわけで、その管理人さんのブログアドレスは伏せておきます)


オリジナル小説に取り組んでいる身にとって、実験的でありたいと思っている部分が少なからずあります。
それは、商業作品でないからこそ許される部分であり、積極的に実験すれば良いと思います。
ただ、そうは言いつつも拙作「炎のキース」シリーズに関して言えば、王道ファンタジーを指向した時点で実験的な要素を盛り込む余地がぐっと狭まってしまったと思います。

さて、言語には文法があり、媒体ごとに「作法」と呼ぶべき表現方法が存在します。
文法を無視すれば、それらの言葉は無意味な記号の羅列となってしまうことでしょう。
あるいは、ある世代もしくは特定のコミュニティ内であれば通用するのかも知れません。
しかし、もしそうであってもそれは一種の暗号に過ぎず、暗号では小説として成り立ちません。
たとえば、その作品世界の中でのみ通用する言語を考案し、その言語のみを使って小説を書き上げるというのも、実験的な試みとしては非常に意欲的だと評価できるでしょう。
ですが、読者の立場としては読む気になりません。日本語に翻訳した上で小説にしてくれ、と言いたくなります。
以前、「異世界と度量衡」のエントリで書いたように、距離や時間の単位は共通理解の得やすいものを使いたいという主張に通じるものがありますよね(^^)
したがって、異世界である以上、自転周期も公転周期も違う星に住んでいる可能性もあるのですが、時間も距離も、おそらくは重力も、我々日本人が感じているものと共通のものを「キース」シリーズの住人達も感じているのです(^^)
あれ、脱線? 強引なこじつけ? きこえなーいw

では、作法についてはどうでしょうか。
商業作品であれば、作法を無視した文章はなかなか読まれないことでしょう。
しかし、商業作品であるかないかに限らず、あえて作法を無視した作品が存在しても良いと思います。
新たな分野が生まれる礎となるかも知れない、という淡い期待もあります。
要は、文法がしっかりしていて内容が面白いかどうかに尽きると思うのです。
そういった作品に触れたとき、やれ「小説で擬音は使うな」とか、やれ「視点の移動が……」(おおっと、視点に関しては私自身課題と感じている部分ですが)……ゲフンゲフン(^^;

以下、作法について、とくに擬音と視点移動のことをつらつらと書いてみます。

擬音については、このブログでも以前触れたことがあるので私の考え方を再掲しておきます。
擬音語・擬態語は文法的には副詞であり、れっきとした日本語だと思います。
ただ、子供っぽく感じる、漫画的であるといった意見が根強く、小説における擬音表現の否定派が数多く存在するのが現状です。
ですが、「ふんわり」や「どきり」といった言葉は使う場面によっては効果的だと思いますし、こういった言葉まで否定してしまうのは一種の言葉狩りと言うべきではないでしょうか。
一方、独創的な擬音、趣向を凝らした擬音は使いすぎなければ作品に視覚的な効果を与えると思います。
「どかーん」や「ばかーん」や「いやーん」は馬鹿っぽく感じますw (ま、私の作品はそんな感じですがねw)
結論を言えば、擬音を使わずに表現するのが作者の腕の見せ所だとは思いますが、その一方で作品の雰囲気によっては積極的に使っても良いと思います。もちろん、擬音を使いすぎると頭が悪い作品に見えてしまう点は否定できません。
そんなわけで、「ハイファンタジー」だから、あるいは「文学」だから擬音は全否定すべきという主旨の主張には私は賛同できかねます。

視点の移動については、過去の私自身の作品を読み返してみて、随分と反省材料が多いと気付かされます。
特に三人称の作品において、複数の登場人物の心中の独白を、あまり間をあけずにかっこに括って直接書いてしまうなど、非常に雑な描写になってしまっています。
会話文の直後に、その人物の心中を地の文で表現するというのは私が好んで使う手法の一つですが、これも使いすぎるとみっともないですね(^^;
そのあたりも改善した上で、今後の作品に活かしていきたいです。

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作法やセオリーと言ったものは必ずしも必要とは限りませんけど、やっぱり最低限度「文章として」成り立っていないといけないと日頃思っていました。それこそ、そういう小説は基本無視していましたし。

だけど、どうなんでしょうね。
サイトで書くものにそのようなセオリーは必要なのかな、とか一抹の疑念が。
一応、小説家を目指している俺としては……もしも第三者に作品を見てもらいたいのなら、他の人のことを思って、見苦しい(それこそ、擬音ばかりの文章が、俺は許せないのですが)文章を控えるべきだなぁと。
そのための、最小限の文章マナーは必要だと思ってます。

まあ、自己満ならそれはそれで良いのですけどね。
↑自分勝手な考えですね、こりゃ。


後、最後の会話文の後に登場人物の心中を書くこと。
確かに、要所要所で使うのが良いと思います。まあですが、いきさんのこの手法は好きだったりするので、改善した後が楽しみだったりしますねw
[ 2009/09/07 21:38 ] [ 編集 ]
なるなる。ふむふむ。そうか~。
感情を書かずに、状況で表すということなのニャね?
相手の背中を見送りながら口びるをきつくかんだ。とか、
彼女は身じろぎもせずその話を聞き終えると……云々。みたいな。
こういうことなの?
ほんと、いき♂さんとこに来るとためになる。ありがとっ。
[ 2009/09/07 23:13 ] [ 編集 ]
文字のみで表現しようとすると、擬音がかえって文章を邪魔してしまいがちですね。
そういう場合は擬音を絵の要素として使ったらよいかなって考えてました。
グラフィック文字とでもいうのでしょうか? デフォルメされた書体の文字を擬音に使えば効果的面なんじゃないって・・・しょうもない思いつきです(笑)。
[ 2009/09/07 23:16 ] [ 編集 ]
うちは擬音使いすぎですね><
いきおいだけで書いてたけど、少し控えてみます><
この記事参考になります^^
出版を考えてるわけではありませんが、読んでくださる方がいる以上、それを考えないとですね^^
[ 2009/09/08 01:25 ] [ 編集 ]
擬音考察ためになりますね!
自分の場合、描いているのは漫画なのでちょっと違うかもですが。逆に、効果的に擬音を使わないようにしたりすることに気を使ったりします。でも、擬音効果音は、いつどこで効果的に使うか(もしくは使わないか)!が、重要な気がします。
[ 2009/09/08 01:56 ] [ 編集 ]
うみのさん>>
「自己満足につきご意見無用」ということであればどんな暗号で小説を書いていても文句はないのですけれどもね^^
……読まないからw

> 確かに、要所要所で使うのが良いと思います。まあですが、いきさんのこの手法は好きだったりするので、改善した後が楽しみだったりしますねw
うわハードルがっ(^^;
はい、今後もこの手法はちりばめることになるとは思いますが、乱発は避けますw


えめるん>>
> こういうことなの?
うんうん。全くもってその通りなんだけどね。
ただ、三人称カメラ視点で映画のような描写を心掛けたいときはそうなんだけど、神視点ということになると、登場人物の胸の内まで知ってて、それを地の文でさらけ出すことは可能だとも思うワケ。
ただし、主人公の胸の内も晒すし、相手の胸の内も晒すというのはあまり好ましくないかな。誰かひとりだけ胸の内まで晒すキャラを決めた場合、他のキャラは状況描写に徹するのがいいのかな、と思ってる。心情を描写したい時は状況描写に徹するか、ひとりだけ胸の内まで晒すか。そのどっちかがいいんじゃないかな。
あるシーンでは主人公の胸の内、別のシーンでは敵の胸の内ってのもアリだろうけど、


ペカリ博士>>
いえいえ、しょうもなくないですよ^^
有名な作家の中でも、京極夏彦先生はデザイナー出身でして、改頁位置まで考慮してハードカバー用・文庫用それぞれご自身で紙面をデザインされています。
あの大御所・筒井康隆大先生も、たしか七瀬シリーズだったかな、本文の中にゴシックを織り交ぜたり、主人公のテレパス・火田七瀬が相手の心を読むシーンで文字の配置に奇を衒ったり、様々な実験的な試みを取り入れておられます。
なので、グラフィカルな描き文字というアイディアもなかなか良いのでは(^^)
[ 2009/09/08 12:15 ] [ 編集 ]
えめるんへのレス、つづき(^^;
地の文で胸の内をさらけ出すキャラは、今までの私のように無節操に複数にするんじゃなくて、少なければ少ないほどいいかな。主人公だけ、とかね。自分の文章読み返して、そんな風に思ったのであった。まる。
[ 2009/09/08 12:18 ] [ 編集 ]
黎風さん>>
> うちは擬音使いすぎですね><
はい、多いと思いますが、作風には合っていますよw


KILLHOUSEさん>>
> 擬音考察ためになりますね!
あぅ(^^;
こんなインチキ考察をお褒めくださって、恐縮してしまいます(^^;


漫画でも、普段2等身キャラがギャグを繰り広げていて、たまに7~8等身に「変身」してシリアスストーリーを展開していくタイプのものがありますよね。
あんな感じで、小説でもギャグとシリアスを切り替えて、ギャグ部分でそれこそ漫画の書き文字のような擬音を使うのもアリかな、と思ってます☆
[ 2009/09/08 12:19 ] [ 編集 ]
擬音……普段の生活ではよく使ってます。関西人は多いと聞きますがvvv。
道を聞かれて、「そこを左にぎゅっと曲がると、(目的地)ばーんと見えてきます」とこたえてますねぇ。擬音がないと、素っ気ない感じがするからかなぁと思いました。

物を書くとき、マンガっぽさを出したいときは使いますが、普段は、なるべく擬音は使わないようにしています。

「ふんわり」「どきり」等は日本語的なので、西欧系のファンタジーに、
日本語は合わないということなんでしょうかね?

なんにしても、新たな挑戦をしようとしている者たちに対して、
保守的な人は叩きにきますがvvv。
挑戦が成功した場合、世論もころっと変わりますしね。
[ 2009/09/08 18:39 ] [ 編集 ]
> 道を聞かれて、「そこを左にぎゅっと曲がると、(目的地)ばーんと見えてきます」とこたえてますねぇ。
あはは! 名古屋人もどっちかというと会話の中で使ってるかもしれません、擬音w

> 「ふんわり」「どきり」等は日本語的なので、西欧系のファンタジーに、
> 日本語は合わないということなんでしょうかね?

いやー、そんなことはないと思いますよ。
曖昧な言葉には、読者に想像を促す効果もあるわけで。
そしてそれは日本人の文化なのであって、たとえ西欧的な要素の強い著作物であっても日本人が創作するものである以上、なぜ使用不可と言いたくなるのか不可解です。

> なんにしても、新たな挑戦をしようとしている者たちに対して、
> 保守的な人は叩きにきますがvvv。

そうですね。
極端な例を挙げて主張するのは結構なことだけど、それを他者に押し付けるのはあまり感心しないな、というのが私の本音です。
若い人ほど自分が読んできたものや、ネット上に公開されている情報に基づいて強いこだわりを他者にも押し付けたがるものです。
でも、正解はひとつではありません。
こうした方が良いというセオリーは確かにありますが、こうでなければならないという規則はない。

ただ、これが仕事となると、編集部の意向などに従う面は出てくるので、著者のこだわりを曲げなければならない部分もあるのだとは思いますけれどもね。
[ 2009/09/08 19:28 ] [ 編集 ]
結局、書くのも読むのも自分が好きか嫌いか、そこに尽きるんだと思います。
書き手の文体がどうであれ、面白い作品はどんな書き方をしていても面白いのだと思うのです。極端な話、それは自分だけの事であって、他の人には関係ないかなって感じがしますね。商業だろうとそうでなかろうと、選ぶのは自分ですし。強要されている訳じゃないんだから、そんなに他の人のやり方を否定しなくても・・・なんて、無責任で自己中な自分は思ってしまいます(あ、いき♂さんの事じゃないっスよ?)。何をどうするかは個人の責任の範疇だと思うので、自分以外の人に迷惑がかからないなら、やりたいようにやれば良いし、したいようにしてもらえば良いと思います。ぶっちゃけ、他所の芝の栽培法にあれこれ言う情熱があるのってスゲェな、と。自宅の芝育てるのに精いっぱいですよ自分(爆)。

長々エラそうに訳分からん事をすみません。ちょっと思うところがあったので・・・。
[ 2009/09/09 18:37 ] [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[ 2009/09/09 20:09 ] [ 編集 ]
> 結局、書くのも読むのも自分が好きか嫌いか、そこに尽きるんだと思います。
> 自宅の芝育てるのに精いっぱいですよ自分(爆)。

いやまったくその通りです。
批評が良くないなどとはもちろん思っていませんが、批評の仕方には良し悪しがあると思うのです。
それこそ、商業作品を品評するわけじゃないんだから。

もし、
「統計的に見て有名作家たちはこういう風に書いているから、そのように書くのは間違いだ」
という論調なのだとしたら笑止千万です。
余計な制約条件は、せっかくの可能性を狭めるだけ。
あえてセオリーに背いた書き方であっても、面白い作品が生まれる余地は充分にあります。
既存の価値観を壊すことで新しい物が生まれる可能性もある。
それこそオリジナルの醍醐味というものではありませんか。
いや、新しい試みができずにいる私が言っても説得力がありませんが。。。
[ 2009/09/09 20:26 ] [ 編集 ]
なんと冷静なお方。
見倣います。
[ 2009/09/09 20:37 ] [ 編集 ]
こんばんはいき♂様! 興味深い記事でしたのでコメントさせていただきました。
小説ではあまり擬音を使うな。これはよく言われることですよね。うちも学生のとき文芸部に所属してましたが、よく部員たちに怒られてました; それでもいき♂様の言うように、「ふんわり」とか「どきり」といった擬音はあった方が読みやすいし、何より雰囲気が出て良いと思うんですよね。あまりにも多いと読みづらくなって、うちは読んでる途中で逃げてしまうのです; うちも擬音は多い方だと思いますので人の事は言えませんけれど;
視点の移動についても、これは個人的に非常に難しいと感じております…。主人公の心理、情景を描ける一人称よりも、全体の情景、心理を描ける三人称をよく使うのですが、視点の移動にはいつも泣かされます; 読む側も書く側も違和感なく、自然に流れるように読めるような視点移動を心がけていますが、なかなか思う通りにはいきません。読み返して、違和感ありありなのが辛いところです。やはり練習あるのみ、ひらすら書くべしなのでしょうか^^; 視点の移動が上手い方に弟子入りしたい所存であります(笑)
ではでは乱文失礼しました。とても勉強になりました、ありがとうございますー^^
[ 2009/09/11 23:12 ] [ 編集 ]
こんばんは\(^O^)/
> 「ふんわり」とか「どきり」といった擬音はあった方が読みやすい
そのあたりの言葉は私に言わせればれっきとした日本語ですよ(^^)
さすがに「ちゅどーん」などといった言葉が出てきたら、ギャグか幼児向け絵本だと言われても仕方がないと思いますけどねw

> 読み返して、違和感ありありなのが辛いところです。
そそ、書いてる最中は気をつけて書いているはずなんですけどね(^^;
更新が夜中だとなかなか上手くいきませんが、できれば声に出して読み上げたいところ。

> ではでは乱文失礼しました。とても勉強になりました、ありがとうございますー^^
いえいえ、正解はひとつではないと思っています。
ある人が「これが絶対だ」と信じることはその人にとっては黄金律であり、他人にもそうして欲しいのでしょうけれども、もし仮に、本当にその法則が万人に当てはまるものであっても、押し付けるのではなくその人が自ら納得した上でなければ意味がない、とも思っています。
そしてその「黄金律」、時代によってもジャンルによっても変化していくものだと思うし、変化を容認しなければ早晩その文化は停滞してしまいます。
……偉そうに書いたけど、それこそが私の「黄金律」。
あ、私かっこいいこといった(勘違い)w
[ 2009/09/12 02:36 ] [ 編集 ]
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[ 2009/09/13 02:10 ] [ 編集 ]
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[ 2009/09/13 17:39 ] [ 編集 ]
すみません、ふたつめのメッセージに気付くのが遅れました。
えぇと、何を気にしておられるのかわかりませんが、ひとつめものも今回のものもメッセージありがたくいただきましたよ^^
こちらからもお邪魔しますね。今後ともよろしくお願いします♪
[ 2009/09/14 12:36 ] [ 編集 ]
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