最凶神の胎動
バネッサはバイラスの執務室前に立ち、ドアをノックした。
「どうぞ、お入りください」
ドアを開け、バネッサを招き入れたのは若い女の声だ。バネッサと視線が合うと、彼女は無表情に会釈した。セミロングの栗色の髪がふわりと揺れる。ニーナ・フォードだ。特殊戦闘部隊《サマット》発足までの間、彼女はバイラスの秘書を務めることになっていた。
「……報告を聞こうか」
椅子に座り、執務机ごしに声をかけた男はバイラス・ダイラー。白い髪と青い目、白いタキシードを着ている。外見は若い男だが、雰囲気は老獪にして年齢不詳の人物だ。
バネッサの姿を認めるや、彼は挨拶もなく本題に入ろうとした。しかしバネッサは傍らに立つニーナを気にして、バイラスに視線で問いかけた。
「ああ、彼女は大丈夫だ。気にせず話したまえ」
ニーナは無表情なまま、影のように静かに立っている。
「ドレン様は突然《サマット》候補に名前の挙がったこちらの女性が、バイラス様の秘書だと知ってから随分気にしておられます。昨夜の命令では、私に彼女を監視するように、と」
「ふむ。秘書なら他にも何人か使っておるが。流石に剣術に長けた女秘書となると、ドレン卿としても無関心ではおれぬのだろうな」
どこか楽しそうに話すバイラスの真意は、バネッサには測りかねた。
「ふふふ。もともと兵士になりたくて、馬術と剣術を独学で鍛えておった田舎娘だ。気紛れで雇った私が彼女の実力を認め、《サマット》に推挙したに過ぎぬ」
「たしかにここのところ、徴兵から逃げ回る国民どもが増えましたから、徴兵対象年齢の枠を広げて性別も不問にしましたものね」
それにしてもニーナは小柄だ。傭兵として戦う女性によく見られる、大柄で男性顔負けの筋肉自慢といった外見からは程遠い。
バネッサの遠慮のない視線を受けても、ニーナは全く意に介さず静かに直立している。
「あっちはどんな感じだ?」
バイラスの曖昧な問いに、心得た様子でバネッサが答える。
「魔力を持つ種族を3人生け捕りにしろ、と。これから私が“狩り”に出掛けます。3人用意したらケランはその翌日までに“起動”できると言っています」
「ほう。ケランは人間の学者だったな。これだから人間は侮れん。いや、大したものだ」
貴族のように上品に笑うバイラスの横で、あくまで無表情なニーナの様子を訝りつつ、用事を終えたバネッサは退室した。
バネッサが去った後、バイラスは独り言のように呟く。
「ふふ。私とドレン卿……。いつでもどちらにも寝返ることができるよう、上手くダブルスパイを演じようとする努力は認めるよ、バネッサ」
バネッサの知らないところでドレンとバイラスが緊密に連絡を取り合っている可能性を考えてもみない――それがバネッサの甘さだった。
「がんばってはいるが、我々にとっては使いやすい手駒だ」
問題はドレンだ。彼は闇の民たるバイラスにさえ、手の内の全てを晒すことはない。
バイラスはカールとの戦闘に敗れたことで、フェンリルとしての本来の力を使えなくなっていた。寿命そのものも、いつ尽きるかわからない段階に来ている。
「これだから人間は侮れん」
焦りがないといえば嘘になる。バイラスは同じ言葉を繰り返したが、今回のつぶやきはドレンに対してのものだ。彼は真意のわからない微笑を頬に張り付け、瞳の色を黒く変えた。
* * *
また、ドラゴンと会話した。しかし、ドラゴンのエネルギーは肥大しており、この世界に直接入り込むことはできない。
「だから、俺に語りかける時も、ドラゴンは俺の夢に入り込むしかない」
今回も、カールが覚えていられるのは何らかのイメージだけだ。
「黄緑色の葉っぱ? それに、巨大で禍々しいもの……」
「どうしたのさ、カール? 独り言なんかつぶやいちゃって」
背後から気遣わしげに声を掛けられ、カールは振り向いた。バレグの存在を忘れていた。
「ん? ああ、用事を思い出した。キースに会わなければ」
「そっか。急ぐ?」
「いや、それほどは」
実際、ドラゴンから受け取ったイメージを伝えようにもカール自身の考えがまとまっていない。それに、王城には今アーカシサン王国の国王と王女が滞在している。カールの行動を制限されるわけではないが、かといって無遠慮に歩き回るわけにもいかない。キースに会う前に、ユージュの森へ行ってグリズに相談した方がよさそうだ。
「ひとつだけ実験につきあって。この容器を――」
バレグが言いながら地面に置いたものは、騎士が使う盾ほどの大きさの円筒形の容器だった。
「ゲイラ・エンブレムで攻撃して!」
「は?」
「いいから」
言われるまま、カールはゲイラ・エンブレムを起動。
容器と同じくらいの青緑色に輝く楕円が瞬時に現れ、カールの正面で渦を巻く。
「壊れても構わないのか?」
「いいよ」
エンブレムを投げつける。
容器にぶつかると、エンブレムは容器の周囲を地面ごと少し削った。
巻き上がる砂塵が穏やかな風にゆっくりと吹き散らされる。
ほどなく砂塵が消え去った。
「な……! 無傷だと!?」
そこには、バレグが地面に置いたときと寸分違わぬ箱が置かれていた。たしかに命中したはずだ。
驚くカールに笑顔を向け、バレグが言った。
「そういうマジックアイテムなのさ。これを研究すれば防御用アイテムも作れると思うけど……今は攻撃用アイテムを研究中。詳しい説明は、アイテムができあがってからね」
にこにこしているバレグに対し、カールは真面目な顔をして言った。
「バレグ……。あんたが味方でよかったぜ」
バレグと一旦別れ、カールは空を飛んでユージュの森へと向かった。
グリズなら、ドラゴンから受け取ったイメージを伝えれば、何らかのヒントをくれるに違いない。
グリズの目の前に降り立ったカールは、そのまま片膝をついた。グリズはエルフ族の長老なのだ。グリズの容姿は、見事な枝を張った大樹。本人もよく覚えていないそうだが、年齢は500歳程度だという。
カールの説明を受け、グリズはおもむろに呟いた。
「さよう……ギガースじゃな」
「ギガース?」
カールにとっては初めて聞く単語だ。おうむ返しに聞くと、グリズは確認するように聞いてきた。
「お主の見たイメージは、ゴーレムだかホブゴブリンだかの胴体から足のかわりにブルーサーペントの尻尾が生えていて、頭部はレッドワイバーン、背にもワイバーンの翼を持つ一体の怪物じゃったな?」
「はい。夢の中のイメージなので、それほどはっきりとは……」
「ワイバーンは先のサーマツでの戦闘で生き残った奴かも知れぬし、スカランジアの阿呆が封印を解いた14体目の奴かも知れぬ。ブルーサーペントはサワムー湖から引き揚げたのじゃろう。ゴーレムは魔法装置騒ぎの時に北の阿呆が使っておったし、ホブゴブリンなら大陸のあちこちにおる」
グリズが次に呟いた言葉も、カールにとっては初めて聞くものだった。
「キメラじゃ」
「キメラ? それは、何ですか?」
「北の阿呆どもめ、それら怪物どもを縫合し、一体の化け物を生み出そうとしておるのに違いない」
「そ……そんなことが!?」
「できる。古代魔法文明の中でも最悪の闇魔術……。スカランジアめ、ドワーフの協力者を確保したやも知れぬ。そんなキメラの中でも、巨体を誇る化け物――それがギガースなのじゃ」
今回のドラゴンからのメッセージは、それを警告したものだったのかも知れない。
「早速キースに!」
「まあ待て。あと、黄緑の葉っぱと言っておったな?」
「それは、グリズ様にお話を伺えという暗示だと思ったのですが」
「ふうむ。まあ良い。まだ、続きがある。ギガースじゃが……な。古代魔法文明を崩壊させるきっかけになったという説があるのじゃ」
「――!」
「何らかの条件によって進化するらしい。――ダーク・ドラゴンに」
カールは驚きのあまり言葉もなかった。
ダーク・ドラゴンなら神話の類として聞いたことがある。当時この世界に棲んでいたドラゴンと同等の力を持ち、気分の赴くままに手当たり次第に破壊を繰り返す最強最悪の凶神。
「ドレン、バイラス! 貴様ら、この世界を消滅させるつもりかっ!」
(6)に続く
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